古墳・遺跡

古坊中遺跡

天台宗の最栄読師が中岳火口の西の巌殿に十一面観音菩薩像を安置したことから始まり、36坊52庵もの寺院群が立ち並んだと伝えられている遺跡。戦国時代に島津氏らの侵攻を受け荒廃。江戸時代に入り加藤清正が現在のJR阿蘇駅周辺に再興した。これを麓坊中と称し、一方で火口付近の坊庵跡を古坊中と称するようになった。

場所 阿蘇市黒川 古坊中遺跡
お問い合わせ 阿蘇市教育委員会 0967-22-3229

中通古墳群

黒川上流、鹿漬川と東岳川の合流付近に美しい姿を展開している。北に外輪山の突出部分”象ケ鼻”と小嵐山の景勝地をひかえ、阿蘇五岳を南に望み、古代阿蘇の神話の世界を思いおこされる。前方後円墳2基、円墳8基が平坦な水田中に見られる。かつては15基以上の古墳があったとされ、古墳時代中期の5世紀頃に造られたと推測されており、熊本県内最大規模の前方後円墳「長目塚古墳」があることから古代の阿蘇地域を治めた豪族「阿蘇君(あそのきみ)」と深い関連があると考えられている。小嵐山の頂上から古墳群全体を展望できる。熊本県指定史跡。

場所 阿蘇市一の宮町中通 中通古墳群
お問い合わせ 阿蘇市教育委員会 0967-22-3229

上御倉・下御倉古墳

古墳時代後期の6世紀に作られた横穴式石室をもつ2基の円墳。熊本県内の横穴式石室をもつ古墳のなかでも比較的規模が大きい。両古墳が造られた時期は中通古墳群に後続する時代で、日本書紀にみえる豪族阿蘇君が「国造(くにのみやつこ)」として阿蘇一帯を治めるなかで中通地域から両古墳がある手野地域へ本拠地を移したと推測される。古墳の眼下に広がる平野は古くから開発が始められたところであり、古代の土地区画「条里制」に基づいて開拓された名残が小字名として伝わっている。熊本県指定史跡。

場所 阿蘇市一の宮町手野 上御倉・下御倉古墳
お問い合わせ 阿蘇市教育委員会 0967-22-3229